Chan-NOBの半生を振り返ります。

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こんにちは。

Chan-NOBlog管理人のChan-NOBです。

このページでは僕の半生を「記憶に強く残っているエピソード」を軸に振り返りながら自己紹介していきます。

ぜひご覧になっていただけると幸いです。

ひどいこともたくさんありましたが、結果的に全てがプラスに働いているので僕は幸せ者です!

記憶に強く残っているエピソード一覧

  • 小学生の時に父親が実の弟に騙され多額の借金持ちに
  • 中学の「頑張る人を馬鹿にする風潮」が大嫌いで地元を離れる決意を固める
  • 大学院見学後にひき逃げされ一時意識不明に
  • ブログをやろうと思ったきっかけ

小学生の時に父親が実の弟に騙され多額の借金持ちに

小学生の時に父親が実の弟に騙され多額の借金持ちに

僕は沖縄県に生まれました。

比較的裕福な家に生まれ、何の不自由もなく暮らしていました。

唯一、父親がとても厳しく何かとゲンコツをくらっていたのがイヤなくらいでした。

しかし、そんな幸せな日々が一瞬にして変わりました

あれは僕が小学2年生の頃です。

父親と弟と一緒に公園を散歩していると、急に父親から「これから家が大変になるかもしれない。お前はお兄ちゃんだから、おかぁと弟をしっかり守れよ」と言われたのです。

子供ながらに、ただ事ではないと感じ、すごく怖くて不安になったことを強く覚えています。

一体何があったのか?

父親が事業に失敗した実の弟に騙され、多額の借金を負わされたのです。

そこから、それまで幸せだった家族の生活は、一気に変わりました。

欲しいものは何も買えなくなりました。

誕生日やクリスマスのプレゼントはなくなり、ついには家も売りに出しました。

苦労話を長々と話すのは全然面白くないので短くいうと、父親が病気で亡くなり財産放棄するまでの10数年は「なかなか大変な生活」でした。

それでも、食べるものや着るもの、学校にもちゃんと通うことができたのは、両親の必死の頑張りと周りの親戚の支えがあったからです。

この頃に受けた恩と愛が、今でも僕の頑張る原動力です。

受けた恩と愛はこれからも返していきます。

中学の「頑張る人を馬鹿にする風潮」が大嫌いで地元を離れる決意を固める

中学の「頑張る人を馬鹿にする風潮」が大嫌いで地元を離れる決意を固める

まぁまぁ大変な生活を送っていた中学生時代。

僕はお金持ちになりたくてハングリー精神に溢れていました。

お金持ちになるには「たくさん勉強して良い学校に行って良い会社に入る必要がある」という完全なるステレオタイプの思考だったので、頑張って勉強に励みました。

また、元々コミュニケーションが得意で友達も多かった僕は、生徒会長に立候補しました。

それは内申を上げて少しでも良い高校に進学するためでした。

結果、見事生徒会長に当選し、責任感も強かったので、その活動にも精を出しました。

するとどうでしょう、頑張ることをバカにされるようになってきたのです。

生徒会活動をしていると「いやぁ〜会長さん、頑張ってるね〜」と言われたり、テストで良い点数を取ると「ま〜め〜(まじめ)ですね〜」と言われたり、ことあるごとに頑張っていることをイジられるようになったのです。

嫌気がさしました。

頑張る人の足を引っ張るって本当に無意味ですよね。。。

こんな環境では自分がダメになるし幸せになれないと考え、高校からは地元を離れる決意をしました。

そこで高校は地元を大きく離れて、沖縄県全土から生徒が集まるような学校へ進学しました。

これがまさに大成功でした。

一生付き合える友達にたくさん恵まれ、尊敬できる先生も多く、頑張りたいだけ頑張れる素晴らしい環境を手に入れることができたのです。

僕は「地元を離れる」という決断を中学3年生でしましたが、これは僕の人生においてとても大きなターニングポイントになったと思います。

これがなかったら周りに流され、今では頑張れない人として沖縄でグダグダ過ごしていたことでしょう。

大学院見学後にひき逃げされ一時意識不明に

大学院見学後にひき逃げされ一時意識不明に

大学卒業間近になって、就職するかそれとも進学するか迷っていました。

そんな時、テレビ(確かNHK)で見た番組に衝撃を受けました。

それは「アメリカでは専門分野を2つ以上持っているのが普通」という内容でした。

僕は高校から大学まで情報通信系の学部で勉強していたのですが、その番組を見た時、何だかこのまま就職するのがもったいなく感じたのです。

そこで僕は一念発起し、転科して大学院に行くことを決意しました。

そして、色々大学院を選んでいる中で奈良県の大学院へ見学に行った時です。

見学も終わり、母親に電話でそのことを報告しながらコンビニに夕飯を買いに向かって歩いていました。

・・・・・記憶があるのはここまでです。次に意識がはっきりしだしたのは頭を縫われている時でした。

なんと車にひき逃げされたのです。

そんなことあります普通?僕の周りでは聞いたことがありません笑

一日しか滞在しない場所でひき逃げされるなんて、一体どれくらいの確率なんでしょうか?笑

しかしまぁ打ち所がとても良かったらしく、奇跡的に軽傷(頭を20針)で済んだ僕は運が良かったのでしょう。

一度死にかけた経験をしたことで「生きている内はやりたいことを思いっきりやろう。運良く生かして頂いた命を大切に使おう。」と思うようになりました。

ちなみに、事故の2日後には喋れるくらいにまで回復し、人生初の(おそらくもうない)実況見分を車椅子に乗りながら行いました。

僕が倒れていた(と思われる)場所や車の割れたヘッドライトの破片などに、刑事ドラマなどよく見る立て札のようなものが置かれており、しんどいながらもテンションが上がりました笑

まさに九死に一生を得た経験でしたが、頭に一生消えない傷と、心に一生消えない心構えを与えてくれたのでギリプラスの経験だったと思っています笑

その時のmixiの日記があるので、貼り付けておきます笑

mixi日記(交通事故)

初めて訪れた奈良県で死にかけましたが、これも何かの縁だと思ったので、この時に見学していた大学院に行くことにしました。

事故の影響で試験が受けられなかったので、僕だけの入試を後日特別に開いていただけました。本当に僕は運が良いんだなと思います。

ブログをやろうと思ったきっかけ

ブログをやろうと思ったきっかけ

車にひき逃げされることによって大学院に入学できた僕は、転科したことで授業や研究に苦労もしましたが、どうにか頑張って卒業し、大手メーカーに就職することができました。

就職先の面接では、配属先の希望を聞かれ「良い人のためならどんな仕事でも頑張れるので、良い人の部下にしてください。希望はそれだけです。」と答えました。

すると、見事我が社でも有数のパワハラ上司の元に配属されるはこびとなりました。(なんでそうなるねん!笑)

その上司以外の人たちはとても良い人ばかりだったので、その人たちのために仕事を頑張りました。

今ではその上司もいなくなり、忙しいながらも楽しく仕事を行えています。

ようやく仕事も手についてきたところで、ある思いが生まれてきました。

「生きている内はやりたいことを思いっきりやろう。運良く生かして頂いた命を大切に使おう。」

事故に遭った時に感じた言葉です。

たった今、やりたいことを思いっきりできているのか?そう思ったのです。

僕はやりたいことを思いっきりやるために、大学院で転科しました。

頑張って就職もできました。

大切な人と結婚もできました。

しばらくそれで落ち着いていた自分に気付いたのです。これからやりたいことを探していない自分に気付いたのです。

それからは「今自分が何をやりたいのか」を考えるようになりました。

そしてある日気がつきました。

「お世話になっている人たちに恩を返したい」

これは、親族や友達だけを指している訳ではありません。

今この記事を読んでくれているあなた様もその一人です。

僕が発信する情報でみんなが少しでも得をする。そんな仕組みを作りたいと思ったのです。

そして、それが僕の利益にも繋がればさらに良い。その仕組みが作れそうだったのがブログだったのです。

まだまだ始めたばかりで実力も実績もない僕ですが、これから頑張ってみなさまに役立つ情報をお届けできればと強く思っています。

このブログが少しでもみなさまの役立つものになることを願っています。

長々とした自分語りを最後まで読んで頂いてありがとうございます!

これからもどうぞよろしくお付き合いいただければと存じます。

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